星崎レンスターズ [神慮の機械外郭]

サークル「神慮の機械」装丁人兼雑文係・10年来の同人二次小説屋の星崎連維が共和国の下僕として作品や同人話をしてます。なかみはようかん。

サークル「神慮の機械」10年来の同人二次小説屋にして装丁人の星崎連維/維如星が共和国の下僕として作品や同人話をしてます。なかみはようかん。

同人情報・各種アカウント  装丁仕事一覧  雑記  本家・神慮の機械  twitter  pixiv

蓮ノ空活動記録第15話感想:梢の「運命の人」の本当の意味

蓮ノ空活動記録第15話は、ラブライブ!決勝敗退後のお話でした。

どの子にもそれぞれの感情があって全員に心を揺さぶられたけど。
蓮ノ空の今日までの根底にあったのは乙宗梢の始めた物語、そう分からされる話でした。

(この記事はふせったーに記載したものを改筆したものです)
https://twitter.com/rennstars/status/1744285761657332011


目次:

包み隠されてきた絶望、本気にしてこなかった切望

「勝たなければ、優勝しなければ、私には何もない」

自分たちもあの場の花帆と同じく、梢のその熱望も覚悟も、そしてその上で彼女がずっと「何も得られないまま何かを犠牲にし続けてきただけ」──そう梢自身が思ってきたということを、本当の意味では分かってなかったんじゃないかと思うのです。

過去のスクールアイドルたちが得てきた「なにか」が詰まった一冊のノート

「何もない、本当に欲しかったものは手に入らない」

なぜ梢は綴理に憧れ、でも隣には立てないと思ってきたのか。
なぜ梢は慈には自分に無いものがあると散々言い立て、一方で自分は何度言われても可愛くないなどと固執してきたのか。

──ああ、それは本当にそう思ってきたからだったのです。

単なる謙遜でも仲間への称賛でもない。彼女たちとは違い、自分には勝つための努力しか何もないのだと。なのに勝つことができない、その絶望の中に彼女は生きてきたということです。


しかも去年を振り返れば、梢は沙知を止められず、慈を見捨てたまま、綴理をも騙し、何もかもをその手から零れ落とし他人を傷つけてまでスクールアイドルクラブの存続と勝利を求め、敗北以上の大きなものを失ったのが梢です。ただ何も無いだけじゃない、誰かをずっと犠牲にすらし続けてきた。それでも、彼女は勝てなかった。

梢は沙知も慈も本当に切り捨てたわけではないでしょう。しかし彼女自身が後から振り返る時、「自分は活動存続や大会勝利のために二人とも引き留め切らなかったのでは」という自責がずっと付きまとってたのだと思うのです。責めるのは自分、だから誰にも赦してもらえない、その辛さの中で彼女はあの冬の時代を過ごしてきたのではないでしょうか。


もちろん、梢とて新たに始まった103期の日々には様々な喜びを見い出してきたはずですが、それでも長いスパンでは彼女がずっとそう悔やみ続けてきたことを今回改めて知らされたのです。それが、何よりの衝撃でした。

結局のところ「梢センパイはなんでもできる」その実力値を認めないほど己に無知ではなくとも、彼女にとってその程度の「できる」は「勝つ」まで何の意味も無いものでした。

また我々読者も、例えばラブライブ作品のメインキャラだから「目標はラブライブ優勝!」なんて言うのはどこか当たり前と捉えて、これまでの物語の端々に梢の本気度が描かれてはいても、その深さと、その深さのために彼女が払ってきた犠牲、犯してきた罪の重さを、花帆と同じく我々も考えてこなかった──そう突きつけられた気がしました。

ここで改めて振り返ると、今まで「梢のちょっと面白いところ」とされていた全てが刃のように自分の心に突き刺さります。

早口オタクのような花帆語りは「自分には花帆しか誇れるものが無い」。
筋トレ好きは「持たない者でもやっただけ得られる成果」。
機械さんが苦手という面すら、黙っていればその立ち振舞いから「梢さま」と呼ばれてしまう彼女が「やっと見つけた、アイドルらしい自分らしさ」として無意識のうちにお得意の努力で克服しきらないようにしていたのかもしれません。


「運命の人」の本当の意味

あの時梢が持っていた一輪のガーベラの花言葉は「運命の人」。そんな情報がSNSを駆け巡りました。

しかし考えてみれば、花帆が梢にとって運命の人だなんてことは物語の中でもスリーズブーケの歌の中でも散々謳われてきたことです。ただそれだけなら、今更ストーリーの中で改めてモチーフとして持ち込まれる意味は薄いように思います。

今回、彼女はひとりで運命の花にすがって泣き、そして自分には何もないと告白した時にその花を手落としてしまいます。

その時に気づいたのです。今日までの梢にとって、花帆はむしろ「所詮、運命の人」に過ぎなかったのかもしれない、と。

梢が憧れた綴理の才覚や慈の可愛さ同様、花帆への感情も「何もない自分には無いものを持っている憧れ」が強かったのではないか。明るく、前向きで、ただひたすらにライブが好きで、その好きを見せることにためらいが無く、そして人を頼れて、物事を強く動かす力を持っている花帆。

自分に無いもの。あるいは梢自身が以前語ったように「以前の自分を見ているよう」すなわち「今は失ってしまったもの」を持っている、花帆。彼女との出会いはまさに「運命」だった──

でも、同じことの繰り返しです。梢はそんな運命の人がいても勝てなかった。
運命の人もまた自分の手から零れ落ちてしまう何かの一つだった。

この花が運命の人なのが重要なのではなく、それを落として、拾ったことが一番の寓意

あの時梢の手から滑り落ち、その傍らで涙に暮れた一輪ガーベラは、むしろそんな「ただ偶然出会った運命の人」の象徴、「ただ憧れただけで勝てずに手から零れ落ちた運命の人」の象徴だったように思うのです。

花帆にとってずっと梢は憧れでした。でも実は梢にとっても、花帆は憧れでした。
憧れは理解からは一番遠い感情──そんな言葉もあります。


しかし。

梢にとって花帆は、本当にずっと「ただ憧れた運命の人」に過ぎなかったのでしょうか?

もちろん違います。

半分はそうだったかもしれません。でも半分は絶対に違う。

思い出してください。そもそも梢は運命の人を座して待ってたわけではないのです。梢自身が第15話の中でも語っていたように、花帆が運命の人であると選んで自らの意志でつかみ取りに行っている

蓮ノ空の物語は、まぎれもなく乙宗梢の手によって始まったのです。

ただ花帆が動かしてくれた事態に乗るのではなく、花帆から学び、時に花帆に助けを求めることだって十分にやってきてる。今日だって、最初に梢は言うんです。

「よかったら、あなたも一緒に来てくれない?」

私たちが最後に知るその深い悔しさと絶望を隠しながら、部長としてメンバーに言葉を掛けに行く。その困難を前に、梢はちゃんと花帆の助けを求めてるんです。ただ辛い自分だけのためじゃない、それがメンバーのためにもなると理解しているのです。


何より、梢は確かに花帆という名の花を「今この場所で」咲かせたその人なのです。


だからこそ、花帆の仕事はその落としてしまった花を拾って、その手に戻してあげることだけだったのでしょう。

カワウソから逃げたあの日のように、今日もまた紅茶のカップによって花帆と梢は「偶然出会い」ます。

でもあの日、その偶然を運命に、自ら手繰り寄せる運命に変えたのは他ならぬ梢自身だったのです。そして今、その梢と共に確かに歩んできた花帆もまた、運命が拾い上げるのを待ちませんでした。

その花は自らの意志で梢の手の中に、隣に戻る

日野下花帆という花咲いた自分自身を、自ら梢の手の中に戻す。それこそが花帆の宣言だったと思うのです。

だって、花帆はもうここに戻る前に分かってたんです。
自分の悔しさは、後悔は、この人を優勝に連れていけなかったことだったのだと。

だって、花帆は知ったんです。
あの、夢のおとぎ話のような場所を。梢が心に描き続けてきた風景を。

梢の記憶と花帆の記憶は同じまばゆい光=「夢見ても、まだ見られていない世界」として描かれている

梢の夢を、ようやく、自分のものとして信じることができたんです。


今、花帆は夢を信じて苦しみながら歩いてきた梢を知りました。
その梢を信じるからこそ、花帆も歩いてゆける。

今、梢は自分の夢を信じて歩いて行ける花帆を知りました。
その花帆を信じて、梢もまた歩き出せる。


ああ、だからこそDream Believersの歌詞は一般的な「I believe dream(私は夢を信じる)」ではないのだと思うのです。
あの曲が歌うのは「Dream Believers, I believe(夢を信じる人を、私は信じる)」
そして「Dream Believers, You believe(あなたが信じる、夢を信じる人)」
蓮ノ空は、スリーズブーケは、その相互性で成り立つ関係なのです。

相手を花咲かせ自らも花咲く、憧れじゃない対等のパートナーになれた瞬間。
それが第15話の今日だったのでしょう。
梢からの「花帆」というその呼び掛けは何よりの信頼の証。
少しだけ驚いて、息を呑んで、そして力強く「はい」と彼女が答えた時。
隣を預け、背中を託せる、梢にとっての綴理や慈と同等以上の存在に花帆はなれたのだと思うのです。


だから、今なら堂々と言えます。「花咲けたね、花帆」。
だってあなたは今、立てば芍薬の花の隣に確かに立てているのだから。





追伸:それでも間違えたくないこと

この先はふせったーには書かなかったことです。

梢の絶望は、言わば美しい物語です
あの立ち振る舞いの中に隠してきた自己評価の低さ。周りの人間を傷つけてきながらも勝てなかったという絶望。そこから梢という人を再評価するのもまた読者としては感情を揺さぶられる楽しい行為です。

しかし、ここであえて触れておこうと思います。

乙宗梢だって、ただの17歳の高校2年生なんです。

幼い頃からの夢だったラブライブ優勝にあと一歩のところまで手を掛けて、敗れた。あと一歩、あと少しで叶うところだった。

その直後に、自分の全てが否定されたような感情に囚われるのは当然のこと

だから、あの時梢が言った言葉の全てを私たちはそのまま信じてはいけないのだと思ってます。彼女自身が瑠璃乃に語ったように、彼女もまた

「あと一歩の敗北の悔しさという眩しさに、少しだけ自分が見えなくなっている」

だけではないかとも思うのです。

実際、本当に梢は「勝たなければ、自分には何もない」と思い続けているのか?

そんな人が「今ここで、あなたたちと勝たなければ意味がない」なんて言いますか? 才能で選んだわけではない少女と優勝の夢を見たいなどと言いますか?

第12話でいみじくも梢がさやかに語ったように。
梢もまた、もうとっくに「持っているもの」を見つけてるんです。

ただ勝利だけじゃない。「今、ここで、仲間たちと、勝つ」こと。そんな「余分」を既に梢は持っているんです。乙宗梢は、仲間たちと共に夢を目指すという自分自身の道をすでに見つけて「輝いてる」んです。

だからこそ乙宗梢のスクールアイドルのきらめきは日野下花帆という運命を引き寄せたんです。一度ならず、今日この日という二度までも

そしてそれに気づけないほど、乙宗梢という人の目は曇っていない。
花帆という存在を得て、彼女は「今」をしっかりと見えるようになっています。

自己評価が低いのは確かでしょう。
勝利する日まで夢が叶わない、という呪いも本物でしょう。

でも、梢が今この期に及んでも勝利以外に何も見つけていない、自分は何も持っていないと「思っている」かのように受け取ってしまうのはいささか行き過ぎだと思うのです。


蓮ノ空の見晴らし台で、凛々しく「全員で願いを叶えましょう」と宣言した乙宗梢を。
花帆を頼りにして、今度こそ二人で夢に向かってゆける梢を。
夢を信じる物語を、今年も応援していきたいと思うのです。


Supported by MACHINA EX DEO  Powered by 黒猫連盟 and はてなブログ